半年以上にわたって制作に関わってきた徳永政二フォト句集1『カーブ』。
昨日から印刷にかかりました。今からだとギリギリ発行日に間に合うか合わないか、
微妙なところですが何とか今月中には出来上がりそう。
制作途中には本当にいろいろな問題が次から次へと出てきて、それでもひとつひとつ
クリアーできたのは、著者の徳永さんはじめ、写真家の藤田めぐみさん、表紙を含め、
シリーズとしてのイメージの出し方などにも相談に乗っていただいた広告丸の高橋善丸さん、
データ制作をお願いしたSさん、みんながよいものを作りたいという思いで結束できて、
しかもその情熱が持続できたことによります。これは当たり前のようですが、なかなかこうは
うまく運ばないのが現実。つくづく有り難いなぁと。
*******
ちょっと前から、ちびちび読んでいる村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」の中に
興味深い記述を見つけました。それは、安岡章太郎について書かれている箇所。
「安岡氏の用いる比喩は非常にうまく痛快です。それはひとつの独自の世界を作り出し、
読者を易々とその世界に引きずり込んでしまう。しかもそれは象徴とかメタファーとか
ではなくて、純粋に物理的なイメージです。ややこしいことは何も考えなくていい。
読者はただ「はあ、なるほど」と感心してそれを受け入れればいいだけのことです。
そして知らず知らずのうちに、読者は作者の提出する世界の中に引き込まれていってしまう。
(後略)」
いろいろな文学作品を読んでいて、どうしてもその世界に入り込めないというか
入りたくもない作品にしばしばお目にかかります。小説など、一行目からもう無理!と放棄した
ものも結構あったりします。独自の世界を作り出すのはいいんですけど、そこに読者を引き込めるか
どうかとなるとなかなかそうはならない。
徳永政二という川柳家の句に接していて感じるのは、そこに漂う独特の空気感です。
それは意図的というようり、彼自身が生来もっている個性によるところが大きいかもしれませんが、
大事なことはその個性を純粋に保ち、育ててきて今があるということです。
「ややこしいことは何も考えなくていい。
読者はただ「はあ、なるほど」と感心してそれを受け入れればいいだけのことです。
そして知らず知らずのうちに、読者は作者の提出する世界の中に引き込まれていってしまう。」
繰り返しになりますが、奇しくも村上春樹が安岡の小説を評したこの文章のように、この
徳永政二フォト句集の中にいつのまにか読者が迷い込んで、ああここにはこんな空気があるのか
と彼の句を呼吸するように体内に入れてもらえたらいいな、と思います。
以前にもどこかで書いたことですが、徳永政二の川柳は「読む」というより「呼吸する」という
イメージに近いと私は思います。
さて、句集が出来上がるまで予定通り来週末から上京。
自費出版文化賞の表彰式です。
昨日から印刷にかかりました。今からだとギリギリ発行日に間に合うか合わないか、
微妙なところですが何とか今月中には出来上がりそう。
制作途中には本当にいろいろな問題が次から次へと出てきて、それでもひとつひとつ
クリアーできたのは、著者の徳永さんはじめ、写真家の藤田めぐみさん、表紙を含め、
シリーズとしてのイメージの出し方などにも相談に乗っていただいた広告丸の高橋善丸さん、
データ制作をお願いしたSさん、みんながよいものを作りたいという思いで結束できて、
しかもその情熱が持続できたことによります。これは当たり前のようですが、なかなかこうは
うまく運ばないのが現実。つくづく有り難いなぁと。
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ちょっと前から、ちびちび読んでいる村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」の中に
興味深い記述を見つけました。それは、安岡章太郎について書かれている箇所。
「安岡氏の用いる比喩は非常にうまく痛快です。それはひとつの独自の世界を作り出し、
読者を易々とその世界に引きずり込んでしまう。しかもそれは象徴とかメタファーとか
ではなくて、純粋に物理的なイメージです。ややこしいことは何も考えなくていい。
読者はただ「はあ、なるほど」と感心してそれを受け入れればいいだけのことです。
そして知らず知らずのうちに、読者は作者の提出する世界の中に引き込まれていってしまう。
(後略)」
いろいろな文学作品を読んでいて、どうしてもその世界に入り込めないというか
入りたくもない作品にしばしばお目にかかります。小説など、一行目からもう無理!と放棄した
ものも結構あったりします。独自の世界を作り出すのはいいんですけど、そこに読者を引き込めるか
どうかとなるとなかなかそうはならない。
徳永政二という川柳家の句に接していて感じるのは、そこに漂う独特の空気感です。
それは意図的というようり、彼自身が生来もっている個性によるところが大きいかもしれませんが、
大事なことはその個性を純粋に保ち、育ててきて今があるということです。
「ややこしいことは何も考えなくていい。
読者はただ「はあ、なるほど」と感心してそれを受け入れればいいだけのことです。
そして知らず知らずのうちに、読者は作者の提出する世界の中に引き込まれていってしまう。」
繰り返しになりますが、奇しくも村上春樹が安岡の小説を評したこの文章のように、この
徳永政二フォト句集の中にいつのまにか読者が迷い込んで、ああここにはこんな空気があるのか
と彼の句を呼吸するように体内に入れてもらえたらいいな、と思います。
以前にもどこかで書いたことですが、徳永政二の川柳は「読む」というより「呼吸する」という
イメージに近いと私は思います。
さて、句集が出来上がるまで予定通り来週末から上京。
自費出版文化賞の表彰式です。
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