土曜日。義母をデイサービスに預かっていただいてから
北浜整骨院へでかける。その帰り道、東洋陶磁美術館横を
通ってみたら、ほとんど諦めていた「ルーシー・リー展」、
すんなり入れた。ルーシー・リーとう陶芸家のことは何も
知らなかったけど、その作品群は素晴らしいもので
この機会に彼女の作品に出会えたことがとても嬉しかった。
ウイーンで生まれ、ロンドンで活躍した都市に生きた陶芸家
としての彼女のすぐれて美しく洗練されたフォルム、計算された
あたたかみのある歪み、溶岩釉が生み出す不思議な質感など、
そのひとつひとつに感動していると、最後に音声ガイドから流れて
きた彼女のことばがとても印象的だった。
個性的であること、人と違っていることを目指しているのではない、
ただ私はまだ充分ではない、そう思いながら創作を続けている、
細部は違っているかもしれないけど、だいたいそのようなことば
だったと思う。
人と比べるのではない、ただただ自分の創作を追求し続けること。
まだまだ途中だという自覚をもって創作をつづけるうちに
身に付いていくもの、それが個性なのかもしれない。
***
まだまだ充分ではない、それはとても大事なこと。
創作においては謙虚さがなくてはいけない。
謙虚さといってもこびるということではない。
素材に対する感謝の念、さらには畏怖の念というもの
のない作品はつまらないと思う。
たとえば川柳なら、ことばをおのれの手足のごとく
酷使している作品には辟易する。自分が王様で
ことばはただの一兵卒的な感覚で使っている作品には正直、
近寄りたくもない。
けれども、そういった作者に限って「俺様の作品がわからん
のか」と読むことを迫ってきたりするから始末が悪い。
あのねえ、人を近寄りがたくしておきながら読めってのは
傲慢じゃないの?私たちにはシカトする自由だってあるんだから。
読みというのは読まれて初めて成立するのであって、読者を
立ち止まらせることができなければ永遠に読まれることがない
という当たり前のことがわかっていない人は困りものである。
こういうことを書き始めると止まらなくなるので、
このあたりでやめとこ。
北浜整骨院へでかける。その帰り道、東洋陶磁美術館横を
通ってみたら、ほとんど諦めていた「ルーシー・リー展」、
すんなり入れた。ルーシー・リーとう陶芸家のことは何も
知らなかったけど、その作品群は素晴らしいもので
この機会に彼女の作品に出会えたことがとても嬉しかった。
ウイーンで生まれ、ロンドンで活躍した都市に生きた陶芸家
としての彼女のすぐれて美しく洗練されたフォルム、計算された
あたたかみのある歪み、溶岩釉が生み出す不思議な質感など、
そのひとつひとつに感動していると、最後に音声ガイドから流れて
きた彼女のことばがとても印象的だった。
個性的であること、人と違っていることを目指しているのではない、
ただ私はまだ充分ではない、そう思いながら創作を続けている、
細部は違っているかもしれないけど、だいたいそのようなことば
だったと思う。
人と比べるのではない、ただただ自分の創作を追求し続けること。
まだまだ途中だという自覚をもって創作をつづけるうちに
身に付いていくもの、それが個性なのかもしれない。
***
まだまだ充分ではない、それはとても大事なこと。
創作においては謙虚さがなくてはいけない。
謙虚さといってもこびるということではない。
素材に対する感謝の念、さらには畏怖の念というもの
のない作品はつまらないと思う。
たとえば川柳なら、ことばをおのれの手足のごとく
酷使している作品には辟易する。自分が王様で
ことばはただの一兵卒的な感覚で使っている作品には正直、
近寄りたくもない。
けれども、そういった作者に限って「俺様の作品がわからん
のか」と読むことを迫ってきたりするから始末が悪い。
あのねえ、人を近寄りがたくしておきながら読めってのは
傲慢じゃないの?私たちにはシカトする自由だってあるんだから。
読みというのは読まれて初めて成立するのであって、読者を
立ち止まらせることができなければ永遠に読まれることがない
という当たり前のことがわかっていない人は困りものである。
こういうことを書き始めると止まらなくなるので、
このあたりでやめとこ。
スポンサーサイト
Last Modified :