西郷かの女さんが、7月21日にお亡くなりになりました。
享年八十七歳。電話でお知らせいただいたとき、
急なことで言葉もありませんでした。
20年来、全身が痛むとてもつらい難病を抱えながら
川柳を創作してこられたかの女さんでした。
昨年秋、上京中に私の携帯電話にかの女さんから連絡があり
病気を抱えているけれども何とか句集を作れるでしょうかと。
私はできる限りのサポートをさせていただきますから、ご一緒に
頑張りましょうとお返事しました。
豪雪地帯、しかも冬場は病状が悪化することもあり、なかなか
制作は進みませんでしたが、今年に入って頻繁にやり取りを
重ねて3月に『冬の陽炎』が誕生しました。
句集が出来上がった時、電話口でのかの女さんの明るいお声が
忘れられません。
その日、午前4時ごろ、お亡くなりになる直前まで書き物をしていたと伺い
ました。ものを書く人間として素晴らしい最期だったと胸を打たれました。
かの女さん、ご縁をいただきありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
西郷かの女句集『冬の陽炎』 (最後の三句)
いのち燃えつきる日の花筏
一片のはなびらとなりさようなら
ほのぼのと灯る私の現在地

http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=30&cid=1
享年八十七歳。電話でお知らせいただいたとき、
急なことで言葉もありませんでした。
20年来、全身が痛むとてもつらい難病を抱えながら
川柳を創作してこられたかの女さんでした。
昨年秋、上京中に私の携帯電話にかの女さんから連絡があり
病気を抱えているけれども何とか句集を作れるでしょうかと。
私はできる限りのサポートをさせていただきますから、ご一緒に
頑張りましょうとお返事しました。
豪雪地帯、しかも冬場は病状が悪化することもあり、なかなか
制作は進みませんでしたが、今年に入って頻繁にやり取りを
重ねて3月に『冬の陽炎』が誕生しました。
句集が出来上がった時、電話口でのかの女さんの明るいお声が
忘れられません。
その日、午前4時ごろ、お亡くなりになる直前まで書き物をしていたと伺い
ました。ものを書く人間として素晴らしい最期だったと胸を打たれました。
かの女さん、ご縁をいただきありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
西郷かの女句集『冬の陽炎』 (最後の三句)
いのち燃えつきる日の花筏
一片のはなびらとなりさようなら
ほのぼのと灯る私の現在地

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