
年末からの流れで、ひきつづき山内令南さんの遺稿の、とくにエッセイや投稿記事を中心に
判読作業を続けている。「中日 くらしの作文」という添え書きのあるおそらくは投稿記事?
を見つけた。中日新聞の読者欄と思われる。日付は1月14日。2011年、この年に山内
さんは第112回文學界新人賞を受賞、直後の5月19日にお亡くなりになった。
この記事はメール投稿のようだが、採用されたかどうかは不明。
感熱紙にプリントされているので消えかけている部分もある。
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昨年七月(注:2010年)に食道がんと診断されてから、さまざまなことに挑戦してきた。
手術や化学療法等、三大療法を受けずに食事療法で行こうという選択もその一つ。残念ながら
十一月始めには固形物が摂れなくなり、放射線治療を受けることになった。あの猛暑の間玄米
菜食しかも減塩というよりほぼ無塩食を続けたが体調は決して悪くなかった。食べられなくな
った十一月でさえフリークライミングの講座に通っていた。
もう一つ新しく始めたことに、ウクレレがある。長年楽器演奏には憧れていた。だったらこの際、
とばかりにウクレレを始めた。十月に体験レッスン、十一月から個人レッスンの開始となった。
楽器も手に入れた。軽くて腕の中にすっぽり入るウクレレだが、毎日放射線治療に通う間、私を慰め
てくれた大事な友だ。恐る恐る弦に触れた体験レッスンからコードを覚え、メロディーを弾ける
ようになるまで一日とてウクレレに触れない日はなかった。治療の副作用で気分が悪い時でも
ウクレレに触れば気が紛れた。治療は年末に終わり、副作用は年が明けてもまだ続いている。
そんな時にもウクレレはいつも傍らにある。生ある限り弾いていたい、と願うばかりだ。
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末期癌の告知を受けてから、小説だけでなくフリークライミング、ウクレレと新しいことに
挑戦し続けていた山内さん。残された命を輝かせ、残された日々を謳歌し見事に生き切った
姿は、彼女がお寺に生まれ僧侶の資格を持っていたということを別にしても見事という外
はない。
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