
この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、
僕は、その誰かになりたい。(中田厚仁)
私がかつて亡き師・定金冬二の晩年の川柳を集めて一冊の句集を
編もうと決心した時、「あんたがやらんでもええやろ、誰かするやろ」と
複数の人に言われたことがありました。
それはその仕事にかかる労力と資金の大変さを気遣っての助言だったと
有り難く思っています。でも、と私は考えました。「誰かがするやろ」って
みんなが思っているだけできっと誰もしないだろう、と。
その助言に対して私がどう答えたのか、はっきりとは覚えていません。
***
冒頭に挙げた言葉は、カンボジアで国連ボランティアとして、UNTAC
(国連カンボジア暫定統治機構)の任務遂行中、銃撃され25歳の若さ
で殉職した田中厚仁さんが、 「なんであなたがいかなければならないの」
という妻の訴えに答えたことば。 彼の崇高な精神と強い意志・勇敢な行動
とは全く比べようもないことですけれど、きっと私はその時、彼のように
答えたかったんじゃないかな、と思っています。
川柳界のためになどという大げさなことではなくて、自分に出来ること、そして
自分しか出来ないことを、少なくとも文学に何の関心もなかった私をことばに
出会わせてくれた川柳に、私なりの恩返しがしたい。
その気持ちの延長線上で誕生したのがあざみエージェントでした。
今日は体育の日。
申し分ない青空の広がりを見ていて、ふっとそんな昔のことを思い出しました。
田中厚仁さんは今でも私の遥か彼方で強い輝きを放つ星です。
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