私のもうひとつのブログ・「あざみ通信」http://ameblo.jp/nomark6061/
ブックレビューやエッセイをきままに書いているブログだ。
このブログのアクセス解析をしてみると、コンスタントに多いキーワードが
下の三橋鷹女の俳句。
それだけ人気がある句ということだろうか。
で、逆にそのキーワードで私はその日、何を書いていたのかを調べてみた。
11月20日。
そう、ちょうど昨年の年末、競輪ファンエッセイ集の編集が大詰めに
さしかかった頃のエッセイだ。以下、コピペしてみた。
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女
マンションの階段を降りている時、ふいにこの句が浮かんだ。
11月に入ってからずっと、競輪ファンエッセイ集『NO MARK』に集中している。
それこそ、寝ても覚めてもずっと。大詰めのこのところ、髪はボサボサ、爪は伸び、
化粧気もなく、目は血走り、本当に鬼女だ、そう思った。
人間、何かにとり付かれたように、一つのことに全身全霊打ち込んでいる時は
もう周りのことが見えなくなってしまうものらしい。
それも、やっと出口が見えてきた。あと一息で頂上へたどり着ける。
きっと、今、私の顔は「鬼女」に見えるに違いない。
何かに激しく心を傾けているとき、私は三橋鷹女の句を思う。
鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし ※鞦韆はぶらんこのこと
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
白露や死んでゆく日も帯締めて
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み
鷹女といえば、するすると出てくるこれらの俳句。
激しい気性、凛とした生き様を思わせる句。
さて、この仕事に区切りがついたら髪を切りにゆこう。
****
なつかしい自分に出会ったようで、ちょっと胸が熱くなる。
あの時、ほんとうに一心にエッセイ集を形にすることだけを
毎日毎日考えていたし、そのための行動しかとっていなかった
ように思う。しんどかったけど、充実した日々だった。
いわば、自分の命を削るようにして出版したエッセイ集だった。
本を作ることは楽しい。あの産みの苦しみがあったから
出来上がった時の喜びはひとしおなんだなぁ。
今、本の形の子供たちが私の手元から離れて旅立っていく様子を
嬉しいような寂しいような複雑な心境でながめている。
ブックレビューやエッセイをきままに書いているブログだ。
このブログのアクセス解析をしてみると、コンスタントに多いキーワードが
下の三橋鷹女の俳句。
それだけ人気がある句ということだろうか。
で、逆にそのキーワードで私はその日、何を書いていたのかを調べてみた。
11月20日。
そう、ちょうど昨年の年末、競輪ファンエッセイ集の編集が大詰めに
さしかかった頃のエッセイだ。以下、コピペしてみた。
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女
マンションの階段を降りている時、ふいにこの句が浮かんだ。
11月に入ってからずっと、競輪ファンエッセイ集『NO MARK』に集中している。
それこそ、寝ても覚めてもずっと。大詰めのこのところ、髪はボサボサ、爪は伸び、
化粧気もなく、目は血走り、本当に鬼女だ、そう思った。
人間、何かにとり付かれたように、一つのことに全身全霊打ち込んでいる時は
もう周りのことが見えなくなってしまうものらしい。
それも、やっと出口が見えてきた。あと一息で頂上へたどり着ける。
きっと、今、私の顔は「鬼女」に見えるに違いない。
何かに激しく心を傾けているとき、私は三橋鷹女の句を思う。
鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし ※鞦韆はぶらんこのこと
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
白露や死んでゆく日も帯締めて
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み
鷹女といえば、するすると出てくるこれらの俳句。
激しい気性、凛とした生き様を思わせる句。
さて、この仕事に区切りがついたら髪を切りにゆこう。
****
なつかしい自分に出会ったようで、ちょっと胸が熱くなる。
あの時、ほんとうに一心にエッセイ集を形にすることだけを
毎日毎日考えていたし、そのための行動しかとっていなかった
ように思う。しんどかったけど、充実した日々だった。
いわば、自分の命を削るようにして出版したエッセイ集だった。
本を作ることは楽しい。あの産みの苦しみがあったから
出来上がった時の喜びはひとしおなんだなぁ。
今、本の形の子供たちが私の手元から離れて旅立っていく様子を
嬉しいような寂しいような複雑な心境でながめている。
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